酩酊した人々に交じって桜を見るのが良いなんて全く信じられない。

今日は人づきあいで中目黒に桜を見に行った。

目黒川沿いを歩いていると「青空じゃなくて残念。写真に撮ってもわかりづらいね。」と聞こえてきた。後ろを歩く知らない女の声に、私はすっかり恐くなった。

青空の下の桜なんていちばん場違いじゃないか。桜っていうのは、乳白色の重ったるい曇天を背景に眺めるものなのだ。あの薄灰色のソメイヨシノの花弁が枝をつたって視界いっぱいに散り散りになり、それを見つめる網膜の上では花弁と曇天が互いの境界もわからなくなるほどのグチャグチャになる。その乳灰色のグチャグチャの果てない混沌をどうにか耐えつづけていると、突如、見渡すかぎりの桜の花弁がすべて消失する白昼夢が訪れる……。黒々とした枝だけが網膜の上で稲妻のように走る、その死の衝撃がとてつもないのだ。

何でもかんでも青空が良いに決まっていると思っているような人間に背後を取られる恐怖はどうも耐えがたい。ものの5分と経たずに私は花見の場から逃亡した。

代官山方面へと逃亡中に見つけた地面のコンクリートのヒビ割れのほうが、あの狂った花見桜よりも遥かに心惹かれる枝ぶりであった。

“桜とコンクリート” への6件のコメント

  1. 素敵な感性だと思います。桜が写真におさめるための装置になっていることを感じました。

  2. 石井さんは文才もあると思う。多方面でがんばってください。

  3. わたしも桜ぎらいであり、花ぎらい。いや、きらいというよりも、耐えられない。

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