よく晴れた何の変哲もない日常のことだ。
ぼくは仕事で静岡へ行ったついでに、沼津港深海水族館へ寄った。

沼津港深海水族館は、以前から行ってみたい場所だった。
決して広くはないが、エクレアナマコやハナデンシャ、メンダコなどの珍しい生物を見ることができる。

 

深海水族館行ったよ

Naho Ishii(石井七歩)さん(@nyaho7)が投稿した写真 –

 

そもそもなぜ沼津港で「深海」水族館なのか?
じつは沼津港のある駿河湾は、日本一深い海なのである。
その深さは2500m。
2500m?想像がつかない。

 

ご存知かもしれないが、
世界最深の海はマリアナ海溝だ。

マリアナ海溝の最深部は、
チャレンジャー海淵(チャレンジャーかいえん、Challenger Deep)と呼ばれている。

その深さについては諸説あるものの、最新の計測では水面下10,911mだそうだ。
これは海面を基準にエベレスト(標高8,848m)をひっくり返しても、山頂が底につかないほど深い。

 

エベレストの頂上からの景色を想像してみてほしい。

宇宙の色が透けて見えるような天空、
そして眼下にひろがる雲と岩肌。
モノクロームに近い、彩度の低い世界。

 

2007-12-13_1906

 

では、海底の景色を想像してみてほしい。
真っ暗な、闇に閉ざされた黒の世界。
もし目が見えるとしても、そこにひろがるのはどんな光景だろうか?

 

2007-12-13_1906

 

不思議なものでぼくたちニンゲンは、
山頂の景色というのは何となく想像できるものだが、
海底の景色というのはどうにもうまく想像できない。

ぼくらは陸の生物であり、
陸と海とは生物学的に隔絶された世界なのだ……….。

 


 

さて、話を戻すと、

沼津港深海水族館には「オオグソクムシ」が展示されている。
オオグソクムシは今までにも何度か見たことはあるが、
そのオオグソクムシが “大量に居る” 点において沼津港深海水族館は特殊だ。

 

オオグソクムシは、
日本の本州中部以南の水深150〜600メートルほどの深海底に生息する等脚類である。
生物としての知名度は低いが、駿河湾では深海魚に混ざって漁獲され、漁港で販売されているらしい。

筋肉部分はエビとシャコの中間のような味またはエビやカニに似た味といわれ
非常に美味との声もあるが、食用可能な部分は少量である上、内臓は苦味が強く不味だという。

どんな生物に対しても食の感想が存在するのを見ると、
われわれ人間は雑食なのだなあと強く実感する。

 

IMG_1044

 

この気色の悪い姿である。

仄暗い水槽の中で微動だにしないオオグソクムシの姿は、
さながら墓石のようである。

「こいつらは何が幸せで生きているんだろうね」なんて冗談も聞こえてくるが、
たしかに墓石のような彼らの姿を観察していると、冗談ではなくそう思えてくる。
彼らは黒くて狭い水槽の奥で何を考えているのだろう?

 

IMG_1059

 

いや、しかし、

何を考えているのだろう、どんな気持ちなのだろう、なんて、
生物に対して擬人化を求めることがそもそも間違っている。

彼らは言語を持たないし、
ぼくたちとは水深600メートル分も異なる世界観で生命活動を維持しているのだ。

海と陸。
互いに隔絶された環境で、
互いに隔絶された世界観を持ちながらぼくらは存在している。

ぼくらニンゲンが彼らオオグソクムシを見て、
嘲笑しながら「何が幸せで生きているんだろうね〜」なんて、甚だ失礼な話である。

 

何が幸せか?
こんなにも「幸せ」なんて概念に固執しているのは人間だけだ。

 

IMG_1057

 

ところで、
ぼくの周りには幸せという問題を軸に話を展開するひとがけっこういる。

「はやく幸せになりたい」
「あなたは幸せでうらやましい」

ぼくはその「幸せ」という単語が大嫌いで、
そういう類の話題を向けられると喉の奥が虚しくなる。

 

多くのヒトは確固たる幸せというものが実在しているかのように世界を認識しているが、
ぼくはそもそもそれが大変な間違いだと思っている。

 

たしかに「幸せ」の概念は人間界に大量流通しているし、
ぼくたちは生まれてこのかた「幸せ」という言葉を幾度も幾度も消費してはいるものの、
その「幸せ」の所在や実態を説明しろと言われたら完璧に答えることはできないだろう。

もしくは漠然とした幸せのイメージがあって、それを羅列することはできるかもしれない。
ぬくもり、穏やか、花、笑顔、愛、成功、金……。
しかしながら当然、その羅列のなかに幸せの本体が存在しているわけではない。

 

 

幸せなんてものは、そもそも実在しないとぼくは思う。

 

 

IMG_1056

 

幸福も、不幸も、何も無い。
最終的に、それらは単なるイメージにすぎない。

もちろん良くできた幸福のイメージは筆舌に尽くしがたいほど美味なものだが、
そのイメージに固執しすぎて鬱々と錯乱してしまっては元も子もない。

幸せというのはよくできたホログラムのようなものだ。

 

IMG_1054

 

連綿たる生存の譜面に従い、
誕生の演奏がはじまり、そしていつか死の終幕へと流れてゆく。

ぼくら人間にとって
明るい太陽や涼やかな風、
美味しい食事や存在を承認される恋愛、
莫大な資産や高価なジュエリーは幸福そのもののイメージかもしれないが、
そんなものはオオグソクムシや他の生物にとって何の価値もない。
人間だけにしか通用しないイメージなんて、きっとそんなに重要なことではない。

 

仄暗い水槽の中のオオグソクムシは、
それこそ充足しているか充足していないかは固体によって異なるだろうが、
幸せのイメージなんか認識外の世界観で淡々と生命活動を維持しているのだろう。

 

IMG_1051

 

閑静な田舎の山道の裏路地にたたずむ灰色の墓石にも似たオオグソクムシの姿を見て、

こうして魚や虫を観察すると「人間の馬鹿な妄想」に取り憑かれなくなるなあと
だからまあ、たまにはこういう場所に足を運ぶべきだなあと
ぼくはそんなことを思った。

 

 

 

石井七歩 / Naho Ishii

▷ Twitter ▷ Facebook