Hello future.

 

 

雨降りの夜

黒いコンクリートが濡れて、街の灯りが世界中に乱反射して

そういう光景を歩く時

この時代の大都会の視覚的うつくしさを、最も堪能している感じがする。

 

 

 

最近ぼくは

世界史関連の書籍を集め読んでいて…、

ぼくのアーカイブにも10冊くらい、世界史の本が仲間入りした。

 

ページをめくりながら

大航海時代やフランス革命に想いを馳せている時って、

文字を追いながら、その街の光景を想像するんだよね。

ナポレオンの勇姿を、失墜を読みながら、

1800年代のフランスの街の情景を想像する。

そして思う。

「行ってみたいなあ……。」「見てみたいなあ……。」

巻き込まれたくはないけれど…。

 

 

 

さあ

200年後の人類は

2015年のTokyoをどのように想像するだろう?

 

ぼくはその2015年のTokyoを自由に歩いている。

羨ましいと思うだろうか?

 

 

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絵を描くテーブルの上にビスマスの人工結晶を置いている。

フラクタル構造がうつくしい…..。

ぼくはこういうセカイの構造がすごく好き。

 

 

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描き上げたドローイングを

額縁に入れて飾るのもいいけれど

…というか額縁に入れて壁にかけるしかないのかもしれないけれど

ぼくは、すごく違和感を覚えてしまう。

 

額縁に入れて壁にかけると「絵を見ている」という感覚のボリュームが最大になってしまう。

突如、世界が失われる。

絵を見ているという感覚から脱さないと楽しくない。

 

鑑賞という行為をしながら

その世界の渦中に居ながらも、観測者として他人でありながら

たとえば社会のように干渉できる関係であるような錯覚……、

その錯覚を覚えるような方法で、ドローイングを見せたい。

それはまるで、今、こことは別のバージョンの世界を体験するかのように……。

 

 

 

大きな絵を描きたい。

 

 

石井 七歩 / Naho Ishii