ぼくが好きなのは、
ほこりをかぶったように灰色がかった、重い曇り空の日。
マーク・ロスコの絵画のように輪郭がぼやけ、水よりは牛乳のように重い空の日がいい。
雲の輪郭が認識できるような空よりも、できればきわめて平面的な暖色系のグレーが理想だ。

ぼくは群衆の匂いがする街が好きだから、街を観るときに、そういう重い灰色が理想なのだ。
澄み渡る鮮やかな青空の背景は、街の色彩を無残に殺してしまう。

 

空について、

色彩鮮やかな青空が最上で、
黒に染まった雨天は最低である、というような考え方が嫌いだ。

 

外出の約束の日、
あるいは食事会の日、仕事の日、
快晴とはほど遠い曇り空だったりして、
それを「今日は晴れてなくて残念」というのはまあ、あまり親しくない人との共通の話題としてぼくもよく使うけれど、雨は雨で良いし、曇りの中にも色々な曇りがある。どんな空も悪くない。

何かと「雨天は残念」というのが社会通念なので仕方ないが、
そういった社会通念を無化した時のほうが、見える景色はもっと綺麗だ。

 

社会通念(しゃかいつうねん)とは、
人間社会の「暗黙の了解事項」の一つ。 法律のように明文化されていない。

 

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このあいだ、上野の科学博物館に行った。

こどもの頃には何度も何度も連れてきてもらったが、
大人になってから行くのは初めてだった。

ぼくが興味を惹かれたのは「鉱物」の展示。

 

櫻井欽一という人物をご存知だろうか?

 

櫻井 欽一(さくらい きんいち、1912年12月11日 – 1993年10月6日)は、
日本のアマチュア鉱物学者。
家業(東京神田にある老舗の鳥鍋屋「ぼたん」)のかたわら、
独学で鉱物学を修めた。
Wikipedia項目:櫻井欽一より引用)

 

科学博物館には、
櫻井欽一博士が寄贈した鉱物コレクションが展示してある。

櫻井欽一博士は、
日本にどういう鉱物の種類があるかを知るため、日本各地から標本を集めた。
同一の種類の鉱物でも、地方によって産出状態が違ったり、どうやら色々と微妙な違いがあるらしい。

 

この鉱物コレクション、
ぼくのようなシロウトからすると、
どこにでも落ちていそうな、きわめて平凡な石ころが陳列しているように見える。

土っぽい鉱石、砂っぽい鉱石、
鉄っぽい鉱石、結晶っぽい鉱石。
ぼくにとっては、せいぜいこの4分類を見分けるのが限界。

どう見てもただの石ころである。

 

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しかし櫻井欽一博士の目で見れば、
うつくしい特徴を持った鉱石のすばらしい世界が見えるのだろう。

ぼくの瞳にうつる煤けた砂の塊は、
彼の瞳の中で、色とりどりに鮮やかな地球の欠片なのだ。

 

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ところで、
国立科学博物館の創立は、1877年にまでさかのぼる。
ずいぶんふるい。

1945年5月、
国立科学博物館の建物は日本軍に徴用され、終戦まで高射第1師団の司令部となる。
この時のエピソードがある。

 

冬の寒さに耐えかねた日本軍は、
寒さをしのぐために鉱物標本を中庭にぶちまけて、
なんと、鉱物の容器であった木箱を燃やして暖をとったのだ。
(ソース元:櫻井欽一博士とその足跡-出逢いと運命-

 

きっと彼らもぼくと同じように、
櫻井欽一鉱物コレクションを見て、
どこにでもある、ありふれた、平凡な石ころが丁寧にならべてあると思ったにちがいない。

 

櫻井欽一博士が見ていた世界は、
石ころをただの石ころとして認識しているぼくには決して見えない世界だ。
空を画一的な空として認識しているうちには、雨天や荒天を愛せないように。

 

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社会通念に準じていると、
ヒトはいつまでたってもただの石ころを侮辱しつづけ、
石ころのうつくしい世界を知ることができない。

うつくしい世界を知るためには、
社会通念としての「無意識の無関心」や「無意識の侮辱」を自覚する必要がある。

 

 

……と、ぼくは春の日常の中で思ったのでした。

 

 

 

石井七歩 / Naho Ishii

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