母の母を看取る母の姿を私は遠巻きに見ていた。祖父が死んで、祖父母が住んでいた三鷹の都営住宅を引き払ってから、もうかなりの年月が経っていたと思う。
母の母、すなおに祖母と書けばいいのだけれど、どちらかというと私は母の母として祖母のことを見ていた。だから母がそのまた母の最期に関与する様子を、雛鳥が親鳥の狩りを見るのと同じ態度で眺めていた。
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森に近い夜の公園を老犬といっしょに歩いているとき、危篤状態の母の母について、母は幾度も私に語った。
「お母さんが認知症になってからね、性格も全然変わっちゃって、酷いこと平気で言うようになってねえ。お母さんもっとしっかりしてたのに、そんな人じゃなかったじゃない、と思うことがよくあったの。」
夜の公園では、数千匹の虫の音がまるでたったひとつの声のように和合している。その中で母の声だけが浮いた響きを持っていた。彼女のは季節や時間帯を感じさせないニュートラルな声色なのだと思う。
「それでね、変わっちゃったお母さんを見て『あたしのお母さん』はもうとっくの昔に死んだんだと思うことにしたのよ。」
たまに鼻息を上げながら歩調をともにする、ところどころ毛の禿げた14歳の雑種犬に、保健所から引き取った頃の子犬の面影はまったくない。
母が私に言いたいことを意訳するとつまり、《今のあたしを母の姿として覚えておいてほしい、老いて何もかも変わったら、それはもう母ではない別人として見てほしい》ということだろう。
私はふうんと返事をしながら、ああ何についても同じことが言えるな、と思った。老いゆくかわいいお母さん。それが母であろうが父であろうが、友、恋人、故郷、国家、文明、惑星、その途方もない輝きを湛えたとある時代と、しのび寄る斜陽の翳り———
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私はよく自分の空想の上で、石垣島の吹通川ヒルギ群落を想像する。
何度も訪ねたその場所を瞼の裏に再現する。
素足を砂粒にしずめる感覚、波が珊瑚砂をさらう音、ぬるい潮風。視界の端にスナガニが走り、ハゼが跳ね、アダンの実にオカヤドカリが集まっている。
あの真昼の太陽にきらきら輝く水面のゆらめき。風と落葉の踊る音。湿った夜の暗闇に、息をひそめる生き物たちの気配を満たして、おそろしい星々が水面を見ている。
昼の川と夜の川はまるで異なる肢体をマングローブ林の隙間に横たえて、魅惑的な昼も蠱惑的な夜も、そのどちらもが私の恋慕を掻き立てる。
しかし「暗く悲しげな夜の川をも愛しているのよ」と、余裕の態度で詩的な交感をしていられるのは、またすぐに昼の姿が現前することを、私が信じて疑わないからです。
数時間後にはあの輝かしい朝が来る。だから夜の美しい部分をしっとり穏やかに感受して、これもまたあのうつくしい川のひとつの側面なのだ、と感慨にふけることができるのでしょう。
もしもあの川にも人々のように、夜がきて、そしてその後にただ端的な終わりが到来するとしたら、私は昼恋しさに泣いてしまう。
夜もまた愛おしいと言葉の上では虚勢を張りながら、もう消え去ったあの水面の輝きを、生き生きと目に映るあざやかな色々、あの真昼のにぎやかな躍動のすべてを、ただ暗いだけになった夜に重ねてさめざめと泣いて———
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———と、こうして寂寥の情感たっぷりな文章を書いていると、どうにも楽しくなりすぎてしまう。
どうしようもない寂寥の美、さびしい、寂しくてたまらない美しさを、情感たっぷりに言葉でなぞり、漠然とした孤独に全身でひたりながら、自然への畏怖に頭を垂れて無常をおもう。
それが日本人の美の所作、わるく言えば生粋の性癖で、私も生粋の日本人であるので寂しい雰囲気を好いてしまうのだ。
もっと楽しくなりすぎると、寂しく寂しく死んだひとを幽霊に仕立てて、空恐ろしい怪談話のひとつでも創作したくなってくる。論理から外れた、うすぼんやりとした死への念慮を、日常世界のどこかに現わしてはぶるぶると震え上がりたくなってくる。
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これを読んだ私のお母さん、
まあ読まないでしょうが万が一読んでしまったお母さん。私の言いたいことがよくわからず、また小難しいことを言ってこいつにはいちいち腹が立つ、と思っているでしょうから説明します。
あなたが老いるのはさびしくて、寂しくて寂しくて、どうしようもないさびしさに身が崩れる思いです。それは本当の気持ちです。しかし、たっぷりと寂しさに浸り、死への畏怖や老いの無常にさめざめと泣いたとしても、結局私はそういうのもまた好いてしまう感性を持っていると思います。多重人格のようなものです。どんなに本気で泣き崩れていても、その10分後には道ゆく子供に「かわいいねえ」と手を振ることができてしまう。
たぶんお母さんもそうですよね。
世界が夜だけになってしまったのなら、昼をなつかしんで泣いたりするのはどんどん後回しで、まずは生活のことを考える。眠る前に寂しくなって、ぶるぶる震えあがるけれど、目が覚めればまたやることを見つける。
祖母の斜陽と向き合うことになった母は、ほうきとタオルと車のキーを持ってちゃかちゃかと手続きや掃除や何やかんやを済ませていき、もうそこに輝いていた祖母の姿など見なかったのでしょう。私の知らないところでほんの少し泣いて、そのほんの少しのあいだに寂しさや悲しみのすべてを噛み締めて、あとはただ生活に向き合っていた。そんなあなたを好きだと思います。
お母さん。いつかあなたが斜陽に入り、死に向かいゆく姿になったとしたら、私もあなたと同じようにするので安心してください。寂寥の情感たっぷりの悲しみを全身で感受しながら、でもそれは1日のうちほんの数十分ずつくらいで、あとは生きることに専念します。あなたのいちばん素敵だった姿を記憶して、他のことは都合よく忘れます。うっかり、私のほうが先に死に近づいてしまった場合にも、どうかそんなふうに過ごしてください。