書いた文章が襲ってくるぞ
ほんの少しのあいだだけnoteで記事を書いてみていた。 しかしシェアが前提のプラットフォームでは、どんなに意識しまいと気を強く持ったところで、どうにもハートと数字にぱちぱちと気が散ってしまう。むろんハートと数字は重要な時には大変重要であるけれど、私の場合、文章を書く空間はイイネやハッシュタグから遠ざけておくべきかと思った。 自分が書いた文章というのは、まるごとそのまま自分の思考のように感じられる。…
余白のすくない迷路・飛び地のひらめき
小学生のころ、授業中、よく学校のノートに迷路を描いていた。はじめは大胆なスタートを切った迷路も、じわじわとノートが埋められていくうちに描き込める余白を失い、肩身のせまい退屈な道程になってゆく。終盤に差し掛かりどのようなゴールを設けるか考えるのだが、限られた行き場の中ではあまりダイナミックなゴール像も描けない。動きを制限され、身動きが取れなくなってゆく。 紙がまっさらに白く、何もないうちがいちばん楽…
「知的生産の技術」より
このところ文章を書きはじめると、いたたまれない気分におそわれる。車酔いによって絶景を楽しめなくなるのとおなじで、内蔵の不快感によって書きたいという気分を楽しめなくなってしまうのだ。 とはいえ、親しい友に宛てる文章にはいくらでも筆が乗る。伝えたいという欲望が、きっと伝わるにちがいないという信頼によって、山火事のようにいくらでも延焼してゆく。これはとてつもない快感だ。親しい友に考えを伝えるときの舌は、…
私は都市の肉体の像を描いておきたい
とてつもない予感を覚えながらも、それがどんな意味を持つのかわからないことがある。 私が絵を描く時なんかは、必ずイメージとの邂逅が先にある。彼がどこからやってきたのか、どのように生まれ育ってきたのか、私には何もかもわからないが、それでもどうしようもなくそのイメージに惹かれてしまう。 ただただ惹かれるままにイメージに接触してゆくうちに、ほんの少しずつ、彼の人物像–––––––イメージの人物像とでもいう…