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■2022/09/19(月)

15時から読み始めた新書を18時に読み終える。渋谷ヒカリエに徳永博子の展覧会を見に行く。今日はずいぶんと風が強い。きっと台風の季節なのだろう。最近はニュースを見ていないのでわからないけれど。

記憶が弱くて、少し参ってきた。
ここのところ朝起きて2時間ほど、椅子に座ったまま、自分が何者なのか思い出せない。ここはどこなのか、自分はどのような目的を持っているのか、今日は何をしようとしているのか………、というよりも、そのような一切の疑問すら持たず、ただそこにいるだけの時間が霧のように漂っている。

覚醒してから思い返すと、あの数時間を勿体ないと思う。起きてすぐに意志と目的に満ちて行動できたら素敵じゃないか。そんなことないのかなあ。

目覚ましのアラーム音は、何らかの用事のために私の目を醒まさせる意図をもった音なわけだが、なかなかそれがわからない。ただ長いこと音が鳴ったりやんだりする中にたたずんでいると、じきにほんのりと音が意味を伴って聴こえはじめる。

そうだこの音は、何かをしろって合図なんだ。けれど一体何をしなきゃいけないんだろう。どうして何かをしなきゃいけないんだっけ。この音は何なんだろう。あれ、そもそもここはどんなところなんだっけ。

昨夜からの同一性というか、連続性が曖昧なので、とにかくいちいち時間をかけて思い出す必要がある。前日の出来事を全く思い出せないことも稀じゃない。とくに困りはしないけれど、周囲の人間は呆れているんじゃないかと思う。

ひっそりと、ここに公開日記をつけてみよう。おもしろい効果があるといいけれど。

■2022/09/20(火)

1キロ泳いだ。500mは足を地面につかずに連続で泳ぎ、それを2本。
500m平泳ぎで17分。

25mずつ立ち止まっていた時には気付かなかったことだが、200m以上連続して泳いでいると、変性意識状態に陥りはじめ、妙な気分になってくる。

ああ、このプールに誰もいなければ最高なのに。けれど、誰もいなければこのまま溺れてしまってもいいかなと思うくらい気持ちがよいので、誰の目もないとすると恐ろしいのかも。

iPhoneの使用時間。今日、やっと3時間を切ることに成功した。これは快挙だ!
8月には1日で16時間も見ていた日もあったくらいだから、よくやったと思う。あの頃は病的だった。ブラウザをSafariからBraveに変えたら、調べ物の際に余計な興味をひく広告が表示されなくなった。すばらしいことだ!

■2022/09/21(水)

15時から18時まで、また新書を一冊読み終える。
革の鞄や小物をメンテナンスする。汚れを消しゴムで落とし、ブラッシング後、ミンクのオイルで磨いていく。

毎日使っているヌメ革のトートバッグ。京都の職人から1万5千円で買ったものだが、もっと丈夫で上質なものが欲しいと思ってしまう。機能的には充分だが、30年の時を耐えるかと言うと構造に不安がある。もっと堅牢かつ一生愛せるデザインの、人生を共にするたったひとつの鞄が欲しい、と思うけれども……。

一生涯大切にできるものが欲しい。服でも鞄でも人でも。
「生涯いっしょに」とか「死ぬまでずっと一緒」という価値観に対して、とても自分では制御しきれない強力な欲望が喚起されてしまうようだ。幼稚かつエロティックな愛着の欲望。うまく言えないが、なにか幼児性のこだわりである気がするので恥ずかしい。

一緒にいたいという愛欲を叶えられなかった他者の顔が思い浮かぶ。1歳の頃からどんな時でもずっと一緒だったリサとは、死ぬその日までずっと一緒だと信じていたが、もう15年間、音信不通かつ行方不明である。幼児の頃の約束をいまだに想う。大人になったら軽井沢で一緒に暮らそうねって、そんなのは一笑に付すのが普通の態度だと、自分でもわかってはいるが。

夜、〈面倒なことをひとつ片付けるチャレンジ〉をする。これは精神衛生状態の向上にとんでもなく効果的である。

■2022/09/22(木)

今は午前3時。
日記を書こうとするが、今日何をしていたか思い出せない。まるで記憶がない。困ったものだ。この数分のこともあまり思い出せないので、多分、いまこの瞬間に忘れたのか、思い出そうとする機能の実行命令に鍵がかかった状態なのかもしれない。

まあそういう日もあるだろう。こういうことはよくある。
しかし、日記の効果は感じている。大したことは書いていないが、今週の雰囲気をこんなに思い出せる日々は久しぶりかもしれない……まだ4日目だが。

本を読みながら寝たいけれど、何の本を読もうか迷う。昨日まで未読だった本が読み終えられている。本の内容は思い出せるようで、ほっとする。今日も日中また読書をしていたのだ。文字が読めて、読みたい本が安く読める。なんて幸せだ。いい時代でいい身分だ。

読みたい本が決まらないということは、しばらくは本を読むという感じでもないのだろう。本を読むときはいつもそれなりの欲求に駆られるものだから。駆られない読書なんて、手持ち無沙汰でする喫煙みたいに、記憶にも留まらないにきまっている。煙草なんて吸ったことないから知らないけれど。

■2022/09/23(金)

月曜から数えて5日経つ。
地球上の5日間って、これまでもこんなに長かったのだろうか。

この5日間は、今までに体験した3ヶ月間と同等くらいの長さに感じる。だいぶまともな頭をしているからだと思う。こうしてその日の考えの一部を書き留めた効果も多少はあるだろうか……いや、まだ始めて5日だからな。でも3ヶ月は経ったように感じるんだ。

心理学者Marsha M. Linehanの弁証法的行動療法を意識して生活している。偏った認知を自覚して、メタ認知の態度を取れるようになりつつあると思う。時間がかかる時もあるが、どんどん早くなっている。

たぶん、今年2月から8月までの半年間はぼくにとって静かな錯乱状態にあり、とにかく歪んだ認知に侵されていた。時間感覚が矢のように喪失されていた。今は時間の流れ方が健康的になっているのだと思う。あまりにも遅くて、もどかしくもあるが。

日中に本を読むのはしばらくやめよう。読書に没頭することを、生産的な仕事をしていない自分を赦す免罪符にできてしまう。読書は夜がふさわしい。

* * *

今日は日本最大級のアートコレクター達の集会である「ワンピース倶楽部」の展覧会オープニングパーティーへ。代表の石鍋さんがご自身のコレクションとして私の作品を展示してくれていた。

同時代の同じ場所に生きる作家たちの作品を見るのは参考になるのかもしれない。今までそういうのは興味も持たずに、というか、意識的に避けていたと思う。視界に入れるのを嫌悪していた。積極的に足を運ぶ必要もないが、意識的に避けるべきでもないと思った。けっこう情報価値がある。

やっぱり徳永博子の作品が良いと思ったのと、佐藤充の作品が圧倒的に良い。しかし、あんなに私的な熱量をこれでもかと投じた作品が、自分の手を離れて他人のところへ渡ってしまうのは辛くないのか?自分の人生の、自分の身体の一部が他人の手に渡るのと同じことだろう。そんなことにどう耐えられるというのか?

ワイン・ジン・ウォッカ・ビール・ウイスキーと飲んでいたら悪酔いして、7時間半は酒が抜けなかった。苦行でしかない。酒なんてもう飲まない。でも、VAN GOGH ESPRESSOというウォッカの薫り高さには感動してしまった。あのウォッカを使って何か自分のカクテルを考案したいものだ。

■2022/09/24(土)

早朝、夜が明けてすぐ屋上へ昇る。
屋上へのぼって、月や木星や火星に向かって話しかけたくなるのだ。音にならない胸の中を、声と交換したくなるときがある。そんなとき、人でない相手がいてくれた方がいい。星に誘われるように声を出さずにはいられなくなる。

星々はもう朝陽に呑まれてしまっていたが、そこで別のうつくしいものを見る。

台風が通りすぎた後、水浸しの屋上、高速道路を擦るタイヤの音が波音そのもので、まるで海だったのだ。青い視界の奥、渋谷や新宿や東京タワー、あれは水平線に浮かぶ巨大タンカー船か、とおくの街の蜃気楼か。

潮の匂いがする。潮風の匂い。気のせいだろうか。台風が海の匂いを運んできたにちがいない。生ぬるく湿った空気を歩くと、まるで南国の旅の朝に早起きして波打ち際を散歩するような、あの特別な感じがした。

海だ。うれしい。海を感じてからは驚くほど穏やかに眠る。

* * *

夕方、随分前から友人Dと約束していた映画をWHITE CINE QUINTOへ観に行く。ヴァルディミール・ヨハンソン監督『LAMB』。換喩的で気配に満ちたアイスランド映画。動物の視線のカットが、何度も何度も印象的に挿入される。気配や視線に対して鋭敏に反応する動物たちと、感じ取っているものの鈍く振る舞おうとする人間たちの姿。きわめて眠くなる映画だったが、それもまた心地よかった。隣の見知らぬ観客もすっかり眠っていてかわいかった。鬱状態の、不眠のまどろみのような映像体験だ。

■2022/09/25(日)

今朝は目覚めから5時間、ベッドから出られなかった。感情的に圧倒されて制御を失ってしまった。15時にやっと起きあがるが、呼吸が浅く、めまい、動悸、吐き気がある。

着ている服のちょっとした質感が気になって気持ちわるいので、なるべく柔らかい布に着替える。いつかのタイ旅行で買ったシャツだ。素足についた些細な砂つぶへの不快感で感情が昂る。すべての光に対して過敏になるので、蝋燭と間接照明で時間を過ごす。

苦悩の感情に圧倒されるが、だいたい3時間くらいで快方に向かった。これは異例の早さである。自律神経系の症状はその後8時間残りつづけたが、感情に耽溺してコントロールを喪失することはなく、頭はずっと冷静に状況を記述できていたと思う。すばらしい成長と成果だ!

今日のように感情に圧倒されたとき、気を紛らわしてペースを取り戻す方法についてのアイデアリストを作った。次からはリストを参考に行為すればいい。

リストを作成していると、身体症状も多少落ち着いてくる。これは楽しい。次いでリスト上の項目をこなしてゆく。机の整理・リネン類の洗濯・キッチンの掃除・本棚の整理など。

23時現在、完全に落ち着いたので日記を書く。まあ1日潰してしまったが、部屋が美しくなったので、良しとしよう。

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