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You are currently viewing 〈甘眠〉2022.10.03-10.09

■2022/10/03(月)

Bunkamuraミュージアムの『イッタラ展』へ。
ガラス食器が著名なフィンランドのデザイン企業である。

先入観を避けるため、まず作品を見てからキャプションに目をやる、というぼくなりの順序がある。今日もそのように展示品を眺めていると、「ああこれは大好きだ」と感じる製品が、すべて同じデザイナーの手がけたものなので驚く。

ティモ・サルパネヴァ(Timo Sarpaneva)。

Googleで〈Timo Sarpaneva artworks〉と検索をかけると、いまだ見知らぬ、おどろくほど好みのものたちが次から次へと出てくる。あまりにすばらしいので、Pinterestにフォルダを作った。

どうしてこの人のセンスに惹かれるのだろう!
歪でざらざらしたテクスチャーを感じる、そして静かだ。なんて静かなんだろう。歪んでいる。整っていないのに凛としている。早朝や未明の雰囲気。氷の洞穴のようなガラスたち。自然界のシミュレーション。供物のように神聖な趣き。

誰もいない世界だ。人のいない感じ。
その感じが好きだ。久々に憧れが掻き立てられる。

* * *

夜中、すこし遠くを散歩する。
知らない家々の隙間を歩く。閉じた家。街は暗くて固いし、ぼくも固い。
砂場。パンダの遊具。金木犀。なにもかもが暗くて鈍い。重くてかなしい。でも木星が見える。あれはほんとうにいいものだ!あれは夜空に穿たれた覗き穴なのだ。

■ 2022/10/04(火)

いま深夜の1時をまわったところだが、おそろしいほど日中の記憶がない。19時頃にはレタスを湯掻いて肉と食べたが、レタスを剥くあの感触に脳を醒ましてもらうまで、私は何をしていたのだろうか。

夜、メイドインアビスの原作漫画を全話読む。
幼いキャラクター達の描き込みに、職人的な変態の執念を感じる。薄い体脂肪としなやかな筋肉。肉体表現の異様なこだわりに圧倒される。アニメ版では世界観に夢中になったが、原作漫画ではキャラクターの印象が9割を占める。

この世界観を壮大なオープンワールドRPGでプレイできたらどんなに良いかと妄想する。アビスの世界を散歩したい。散歩。どこか知らない世界を散歩したい。

最後に、世界に目を向けて散歩したのはいつだったろう。
既知の道を歩いていると、どうしても頭の中に意識が集中する。気づかぬうちに数百メートルを進んで、ただ両足を交互に動かすだけの単調な営みになってしまう。頭の中が霧散するくらい、知らない世界に曝されたい。行かないと。誰もわからない、何もわからないところに行きたい。

■2022/10/05(水)

母から電話がかかってくる。
母は2時間ものあいだ、推しだという男性アイドルグループについて一方的に喋りつづけ、ぼくは生返事をしつづける。興味がないので大変だが、ぼくは優しい長女なので聞いてあげる。「推しのいる生活、最高!」と言っておる。楽しそうに生きていてくれて安心する。

■2022/10/06(木)

今日は一日中ずっと吐いていたが、一体何だったのだろう。
覚えていないけれど、何か悪いものを口にしたのかもしれない。

雨だったと思う。それもけっこうな雨で、夏が終わってからはじめての寒さを感じた。寒いのはかなしい。冬はこわい。夏が好きだ。今日は玄関を開けた瞬間、とおくから冬に睨まれる気配がした。冬がやってきてしまう。冬が恐ろしい。

* * *

寄付しようと玄関の段ボールにまとめてあった本の山から、坂口恭平『土になる』が目についた。以前途中まで読んで、もういいやと飽きて閉じたはずの本だった。

なんとなく開いて、そのまま最後まで読み通す。
すぐに嘔吐するのでバスルームに篭ったまま、床に座って読みふけった。あまり頭をつかわないで、経口補水液のように自然に読める。こういう時に読む本だったんだなあ。気づかず嫁に出してしまうところだった。

坂口が畑作業をとおして回復の手応えを感じてゆくエッセイだ。回復というか、生きる技術かな。感覚に合った生活をみつけていく技術。うまく言えないな。自分にとって調子の良い、心地良いやり方を探す様子を描いたもの、かな。

畑をするという彼のやり方は、あくまでも彼という人に合うのものなので、直接参考になるわけじゃない。けれどその迷いの様子、手応えを感じていく様子や、体に沁みて確信してゆく様子が、ああぼくもその感覚を模倣したい、という気持ちにさせられる。ぼくもそうなりたいと思う。

これまでの人生、ぼくにとっても生きることとは、そのまま生きる技術を獲得していくことだった。とはいえまだまだ手応えすら掴んでいないのだが。けれど20代をとおして、どのような状況に置かれると自分は調子が悪くなるのか、どんなものが苦手なのか、その法則をひとつずつ探り当ててきた。それで充分だろう。

坂口のように、このやり方は合っているな、というのを見つけるまでには至っていないが、時間が必要な問題なのだと思う。焦る時もあるが、大丈夫だ。方法をさがすのは楽しいからな。

■2022/10/07(金)

寒い雨だ。靴が水びたしになるほどの雨。
どこか高いところへ行きたくなる。

展望台へむかう。
展望台の長椅子には、何をするわけでもなくただぼーっと座っているひとが15人くらい。いつもよりずいぶん多い。こんな平日の昼間から一体何をしているんだろう。まあ、ぼくもだが。

ぼくも座る。気持ちはわかる。こんな雨の日は、地面の近くになんていられるものか。ビルとビルの隙間になんかいられない。コンクリートの歪みに沿って汚水が流れてゆくみたいな、おぞましい流れに身を浸している気分になる。だから雨が降ると、なるべく地面を離れたくなる。

ぼくは視界の悪い日に、ひときわ高い木に登って周囲を警戒するサルだ!

■2022/10/09(土)

恐ろしいほど眠りつづけていた。

■2022/10/09(日)

16時に目覚める。
金曜の0時から、40時間眠っていた。

途中で妙な、今までに体験したことのない知覚変容が起こる。うまくいえないが、今までの自分とはまったく異なるものになってしまったようだった。

ガチャガチャのマシーンに閉じ込められて、透明なカプセルの中で時が来るのを待っている気分だった。外の世界は自分と無関係で、まったく異なる摂理の世界だ。けれど自分はいつかそこに出る。カプセルが割れ、中身が飛び散ってしまう。その時が来たら終わりだ。いまに終わりの時が来る。そんな気分だ。

2時間起き、また力尽きて18時に眠る。

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